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差間・木曽呂周辺のスポット

~都内至近でネイチャー体験 お弁当持って出かけよう~

住宅地ながら緑も多く残る一帯を歩きます。雑木林の差間中公園を通り、東沼神社へ。神社の裏手はすぐ見沼代用水束縁が流れていて、少し歩くと、昆虫や魚、鳥たちに親しめる川口自然公園があります。広い園内を散策したら、きれいに整備された木洩れ日の道をたどって木曽呂の富士塚へ。木曽呂地区の南側にはぼうふう農家が集中しています。閘門式運河の見沼通船堀を見て先人の知恵にうならされ、田畑が広がる見沼の景色に心奪われる。都市生活のストレス発散にうってつけのコースです。     (川口市内観光ルートマップより)
         写真撮影:川口銀座商店街(振)/まちづくりパートナーシップ勉強会

川口自然公園(差間1355)

■田んぼや植木の畑が続く見沼田んぼの一角に、自然と親しめるようにと昭和63年(1988年)に作られました。園内は、見沼に生息する生き物を間近で観察できる散策路が巡らされ、水辺に集まるトンボやチョウ、ホタルやクワガタ、カブトムシも見られます。風に乗って聞こえるヒバリやヨシキリなど、野鳥のさえずりがなんとものどか。池周辺は釣り人や、ザリガニとりを楽しむ子どもたちでにぎわいます。
          (川口市:我がまち川口・再発見~天気の良い日は川口散歩~より)
見沼代用水東縁
見沼代用水東縁
見沼代用水東縁

木曽呂の富士塚(大字東内野594)

■江戸の頃、日本一高い富士山は信仰の対象であり、多くの人々が富士登山の旅に出かけました。そこで、本当の富士山に登れない人のためにと、ミニ富士山が各地にできました。木曽呂の富士塚もその一つで、県内では最も古く、国指定史跡となっています。富士塚に登るには、小さな鳥居の左側、20段ほどの階段を利用します。頂上には火口に見立てた窪みがあり、一周するお鉢巡りは昔から人気でした。塚をくり貫いた胎内くぐりの穴もあったそうで、さぞや行列ができたのでは。平成18年、ライフワークの水運研究で皇太子様(当時)が立ち寄られたことを記念して、殿下のお印である「梓(学名ミズメ)」の幼木が塚の麓に植樹されています。 (川口市:我がまち川口・再発見~天気の良い日は川口散歩~より)
■木曽呂の富士塚)
指定等:国指定  種別:重要有形民俗文化財  員数:1基  年代:江戸時代
木曽呂の富士塚は、地元で「ふじやま」・「木曽呂浅間」と称され、寛政12年(1800)に富士講の一派である丸参講の信者である蓮見知重の発願により見沼代用水東縁と見沼通船堀の連絡点の崖上に築造されたものです。現存する県内最古の富士塚です。高さ(盛土部)5.4m、直径20mを測り、塚全体が盛土で築かれており、火口・お中道・胎内めぐりの穴などが設置され、富士講築造の富士塚としては県内最古のものです。
                        (川口市立文化財センターHPより)

稲荷社(さいたま市緑区大字大間木)

鳥居
本殿
御由緒

八丁堤(さいたま市緑区大間木・下山口新田・川口市東内野

享保12年(1727年)に 八丁堤を切って見沼溜井が干拓され、見沼たんぼが生まれました。そして、干拓された見沼溜井の代わりとなる農業用水の確保のため、利根川から約60kmに渡って用水が引かれ、 見沼たんぼの西縁と東縁の台地にそって水路が掘削され、農業用水が供給されました。これが 見沼代用水です。見沼たんぼが開かれてから、今日まで稲作が行われており、特に戦後は食糧増産を支える貴重な農業生産の場となりました。
                       (さいたま市みぬまたんぼのHPより)

鈴木家住宅(さいたま市緑区大字大間木1889)

国指定史跡見沼通船堀には、通船差配役であった鈴木家の住宅が指定地に含まれています。
鈴木家は、幕府から見沼通船堀の差配(各船に対する積荷や船頭の割り振りなど船割りを行う業務)役を命じられていました。文政年間(1818年から1830年)以降は、差配を執り行う事務所(八丁会所)に出向いて差配にあたり、住まいも江戸から現地に移しました。現在残る鈴木家の建物(母屋・米倉・その他の建造物)は、その頃に建てられたと考えられています。(さいたま市HPより)
(国指定史跡見沼通船堀の一部)
(国指定史跡見沼通船堀の一部)

附島氷川女体社(さいたま市緑区大字大間木1522)

江戸時代中頃。一間社流見世棚造。こけら葺。桁行0.690メートル、梁間0.610メートル、向拝の出0.510メートル。覆屋内。
■附島氷川女体社本殿
さいたま市指定 有形文化財 建造物             (さいたま市HPより)
鳥居
本殿           (さいたま市指定有形文化財  建造物)
本殿           (さいたま市指定有形文化財  建造物)

見沼通船堀公園(さいたま市緑区大字大間木1506)

享保16年(1731年)に開通した、我が国最古といわれる閘門式運河、見沼通船堀のある公園です。竹林に囲まれた雰囲気のある公園です。    (さいたま公園ナビHPより)

見沼通船堀(さいたま市緑区大間木・下山口新田・川口市東内野

■芝川を経由し見沼代用水東縁・西縁の間をつないだ運河。高低差3mを、巨大な板でせき止め、3段の堰の水位差を調整して船を運行させました。同じ方式のパナマ運河よりも180年も前に完成。米や農産物が江戸へ、江戸からは肥料や塩が運ばれました。そばの古民家は、代々水運業に関わってきた鈴木家。
          (川口市:我がまち川口・再発見~天気の良い日は川口散歩~より)
■見沼通船堀
指定等:国指定  種別:史跡  年代:江戸時代
見沼通船堀は、井沢弥惣兵衛為永により、享保16年(1731)に東西の見沼代用水と芝川を結んでつくられた我が国最古の閘門式運河です。この運河の完成により見沼田圃が造成され、付近は豊かな農村へと変貌を遂げました。東端の台地に築かれた木曽呂の富士塚は、富士信仰の遺産であるとともに、通船堀の恩恵を受けた文化遺産でもあります。
                        (川口市立文化財センターHPより)
西縁
西縁一ノ関
西縁一ノ関
西縁
西縁
西縁二ノ関
芝川
東縁
東縁
東縁
東縁
東縁
東縁
東縁
東縁

見沼代用水西縁

柳崎第3公園付近
柳崎第3公園付近
柳崎第3公園付近
柳崎4丁目付近
柳崎4丁目付近
柳崎4丁目付近

柳崎氷川神社(柳崎5-20-1)

■柳崎氷川神社本殿
川口市指定 有形文化財 建造物 江戸度時代
簡素な見世棚造りで、装飾及び技法に簡素を意匠とする特徴が見られます。丸桁、棟木の舟肘木は、一木より造りだしです。木階は七段と多く、この地方の木階の見世棚造としては珍しいものです。 
※ この文化財は、一般公開は行っておりません。  (川口市立文化財センターHPより)
鳥居
本殿            (川口市指定有形文化財 建造物)一般公開は行っておりません
境内
境内
スタジイ

六ヶ村調節堰(柳崎4丁目)

観音院(柳崎4-11-30)

本堂
境内
境内
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