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芝周辺o散歩

ロマン漂う歴史をひもときに ぶらりO散歩

緑の用水遊歩道とキリシタン悲話の地を歩く

昔は見渡す限り水田だった芝地域も、現在は公園や遊歩道がやすらぎを与えてくれる住宅地に。かつて田を潤した用水の一つ、戸田用水に沿って整備された遊歩道が散策コースのスタートです、コースの先には胎内マリア観音で知られる如意輪観音堂やびっくり仰天のゴリラ公園、栗原小巻主演の楽劇「るひいな」を生んだ長徳寺など必見のポイントが続々。《地位も名誉もある学僧が命を賭けて守ったキリシタン女性》・・・散歩コースにはその謎をひも解くポイントが随所に出てきます。                       
          (川口市:我がまち川口・再発見~天気の良い日は川口散歩~より)
          (川口市:川口市内観光ルートマップ概要面MAP面より)
         写真撮影:川口銀座商店街(振)/まちづくりパートナーシップ勉強会

御嶽神社(芝樋ノ爪2-4-16)

■字樋ノ爪在住の本多某氏は熱心な御嶽神社の信者で私費を投じて統治に創建したと言われています。                             (芝村史より)
■鳥居
■鳥居
■社殿

如意輪観音堂(芝西1-19-7)

■「開けると目がつぶれます」と言い伝えられてきた厨子から、高さが30センチに満たない小柄な阿弥陀如来像が見つかったのは、50年前。調査員が注目した像の背中部分の模様は、まさしくキリスト教を象徴する麦の穂を図案化したもので、さらに驚いたことには像の首が胴から抜け、胎内からマリア観音と十字架が出てきたのです。当時の新聞は、「川口で発見!如来像胎内からマリア観音」と伝え、話題になりました。江戸時代、各地で弾圧下でも信仰を曲げなかったキリシタンが集まり、マリア像に似た慈母観音を聖母子像に見立ててお祈りを捧げたと思われます。その像は、キリシタンに嫁ぎ、夫が殉教の後この地に逃げ延びて来た長徳寺龍派和尚の姪とされる、るいひな・お夏が持ち帰ったものでは・・・というのが歴史家の想像。隠れキリシタンの数少ない史料として埼玉県指定文化財に。芝地区の歴史を語る上で欠かせない場所の一つです。
          (川口市:我がまち川口・再発見~天気の良い日は川口散歩~より)
■木造阿弥陀如来坐像 付胎内仏十字架
埼玉県指定  有形文化財  年代:江戸時代
寄託:さいたま市大宮区高鼻町4-219 (埼玉県立歴史と民俗の博物館)
この阿弥陀如来坐像は、埼玉県下でも、数少ない隠れキリシタンに関する貴重な遺物です。寄木造りの漆箔着色で、造高29.3㎝、胸張22.2㎝です。首が胴部から抜けるようになっており、像内には檜材一本造りの股張16.2㎝マリア観音像(高さ13.0㎝)と胴造十字架(高さ8.7×4.0㎝)が収められています。
※ この文化財は、一般公開は行っておりません。  (川口市立文化財センターHPより)
■本堂

二ツ堂(芝塚原2-18-2)

■足立観音霊場九番札所。シンメトリーの変わったお堂です。始めに、芝村の有力者で熱心に仏教を信仰した須賀新右衛門が右側の千手観音堂を建て、後から長徳寺の檀家たちが左手の観音堂を建て、その後二つを連結させたそうです。入り口すぐ、六地蔵が迎えてくれます。周辺の道路はイチョウ並木が縦横に走り、晩秋の芝路に彩を添えてくれます。
          (川口市:我がまち川口・再発見~天気の良い日は川口散歩~より)
■本堂
■本堂
■本堂

ゴリラ公園(大字芝4341)

■わおっ!巨大ゴリラが時計をへし曲げ迫って来る~!このゴリラ、実は「ビッグジョー」という名で子どもたちが大好きな公園の隊長。公園名とともに公募で付いた名前です。数分おきに動くゴリラの目にご注目! 公園は、川口市と市民が協働するワークショップで作られました。子どもたちのアイデアを取り入れ、管理塔キャプテンタワーを中心に、ミルキーウェイ、ピーチクレーター、バナナスクエアなど凸凹のある設計。祭りやコンサートなどにも使われます。市内唯一のマウンテンバイク用BMXコースは、超人気。
          (川口市:我がまち川口・再発見~天気の良い日は川口散歩~より)
                                ※ゴリラ公園HP
■案内板
■ビッグジョー
■ビッグジョーと京浜東北線
■ビッグジョー
■ビッグジョー
■BMXコース
■BMXコース
■BMXコース

上谷沼調節池/上谷沼運動公園(芝7184)

■藤右衛門川とさいたま市との間に広がる調節池。ピクニックやスポーツにと週末はにぎわいます。春はロータリークラブ植樹の桜が見事に満開となり、お花見が楽しめます。  
          (川口市:我がまち川口・再発見~天気の良い日は川口散歩~より)
※撮影日:2021.3.29
※撮影日:2021.3.29
※撮影日:2021.3.29
※撮影日:2021.3.29
※撮影日:2021.3.29

鶴ヶ丸八幡神社(芝6843)

■奥の本殿正面の屋根を見上げると、流れるような緩やかな曲線を描き、ふっくらした美しさが特徴。当時の代官熊沢忠勝が、安房鶴ヶ谷(千葉県館山市)の鶴ヶ谷八幡宮から分祀したもので、棟梁以下安房の職人の手で再建されたそうです。覆屋という二重の屋根で保護されています。埼玉県指定有形文化財。芝地域が見渡せる小高い丘に建ち、本殿までの長い参道には桜やイチョウなどの古木の並木が続き、五感が研ぎ澄まされる心地よさを感じます。
          (川口市:我がまち川口・再発見~天気の良い日は川口散歩~より)
■鶴ヶ丸八幡神社本殿 付棟札一枚
埼玉県指定  有形文化財  年代:江戸時代
鶴ヶ丸八幡神社は、寛永4年(1627)に、代官熊沢三郎左衛門忠勝が安房の鶴ヶ谷八幡神社を移し造ったものです。社殿は正面三間、側面二間、切妻造りで軒二軒繁棰の大きな流れ造りで、強固な外観を呈しています。         (川口市立文化財センターHPより)
■鳥居
■稲荷社
■参道
■参道
■境内
■社殿
■鶴ヶ丸八幡神社/解説       ※埼玉県指定 有形文化財
■鶴ヶ丸八幡神社本殿        ※埼玉県指定 有形文化財
■鶴ヶ丸八幡神社本殿        ※埼玉県指定 有形文化財

川口市立芝中学校沿いの桜並木

■芝中学校西側の沿道には約400m続く桜並木があり、春には桜のトンネルとなり、近隣の方々に春のスポットとして親しまれています。     (川口市:広報かわぐちより)
※撮影日:2021.3.29
※撮影日:2021.3.29
※撮影日:2021.3.29
※撮影日:2021.3.29
※撮影日:2021.3.29
※撮影日:2021.3.29

長徳寺(大字芝6303)

■境内は天然記念物ビャクシンの巨木のほか、丁寧に刈り込まれた植え込みの緑が白砂に映え、みごとな庭園となっています。敷地は4ヘクタールと広く、本堂裏手には三重塔が建ちます。歴代住職の中でも特筆されるのは、13世龍派禅珠、別名「寒松」。江戸初期、江戸城内の「紅葉山文庫」創設時に資料を分類、目録作成をしたという、詩文、書道に秀でた学僧です。寺に残る『寒松稿』『寒松日暦』は、「三十六歌仙の絵」、「仁王門」「三重塔」「三頭の獅子頭、神楽面」などとともに埼玉県、川口市指定の重要文化財として大切に保管されています。その寒松和尚が守り抜いた異教徒の女性るひいな・お夏・・・謎めいた物語が想像をかき立てます。『寒松日暦』を基に脚本家八木柊一郎が楽劇「るひいな」にし、完成直後のリリア(川口総合文化センター)で上演されました。もう一人、長徳寺を語るとき忘れてはならない人物が、るひいな・お夏の父、熊沢忠勝。末代まで寺を支援した代官で、一族ともに墓苑の一隅に眠ります。臨済宗建長寺の末寺。
          (川口市:我がまち川口・再発見~天気の良い日は川口散歩~より)
■代官熊沢家の墓
川口市指定  史跡  年代:江戸時代
芝村の代官熊沢三郎左衛門忠勝は、長徳寺住持龍派禅珠と親交が深く、寺の再建や梵鐘の寄進などに多くの功をなしています。忠勝の没後も彦兵衛忠徳、武兵衛良泰と代官を務めました。墓地には忠勝とその両親、忠徳、良泰と彼らの家族が葬られています。
■龍派禅珠の墓
埼玉県指定  史跡  年代:江戸時代
戦国時代末期から江戸時代初期にかけて詩文・書道にひいでた学僧として名高い龍派禅珠(号・寒松)は、天正10年(1582)に長徳寺住持となり、慶長7年(1602)に徳川家康の命により足利学校10代庠主(しょうしゅ)となりました。慶長15年(1610)、徳川秀忠の命により鎌倉建長寺178世住持を命ぜられ、以後寛永5年(1628)まで、長徳寺の住持を務めました。この間、2度の火災に遭った長徳寺の再建に努め、大檀那代官熊沢忠勝の力を借り堂宇の整備に力を注ぎました。墓石は小松石の無縫燈(卵塔)で、高さ2m94cmを測り、正面中央に「中興」の二字が刻まれています。
■長徳寺のビャクシン
埼玉県指定  天然記念物
長徳寺のビャクシンは、本山鎌倉建長寺に所在したビャクシンの実生と伝えられています。樹高13m、目通り3.3m、枝張り7.3mを測り、本堂左脇にて禅門の風格を高めています。和名イブキ、一名イブキビャクシン、裸子植物、ヒノキ科の常緑高木であります。
■寒松日記及び寒松稿
埼玉県指定 有形文化財  年代:江戸時代
寄託:さいたま市大宮区高鼻町4-219 (埼玉県立歴史と民俗の博物館)
「寒松日記」は、龍派禅珠が慶長18年(1613)から寛永9年(1632)まで書き留めた日記で、キリシタン救助の記録など江戸時代初頭の重要な事件が記されています。「寒松稿」は、最後の五山文学であり、龍派の上は将軍から下は百姓に至るまでの広範な交友が詩文に綴られています。
※ この文化財は、一般公開は行っておりません。
■中峰明本頂相
埼玉県指定  有形文化財  年代:江戸時代
寄託:さいたま市大宮区高鼻町4-219 (埼玉県立歴史と民俗の博物館)
中峰明本は、中国銭塘の禅僧で南宋から元にかけて幻住派を起こし、人々からその徳を讃えられました。明本は、特に書に優れた才能を持ち、我が国にも多大な影響を与え、元に留学した長徳寺第一世古先印元も彼の門下生にあたります。頂相は絹本着色、牙軸で曲彔に座った頂相画に、上部に「笹の葉書き」と言われる自賛の詩が名筆で記されています。法量は縦113. 0㎝、横49.4㎝です。
※ この文化財は、一般公開は行っておりません。         
■長徳寺三十六歌仙絵扁額
川口市指定  有形文化財  年代:江戸時代
この三十六歌仙絵扁額は、寛永元年(1624)に代官熊沢忠勝の妻妙悟が長徳寺境内圓通殿観音堂に寄進したものです。代官熊沢家と長徳寺の関係を示す貴重な資料であるとともに、キリシタン殉教事件の顛末を物語る資料ともなっています。
※ この文化財は、一般公開は行っておりません。
■長徳寺の獅子頭及び神楽面
川口市指定  有形民俗文化財  年代:江戸時代
長徳寺には、獅子頭3頭と、神楽面10面が保存されており、そのうち獅子頭には、元禄11年(1698)、宝永7年(1710)、寛延元年(1748)、明和元年(1764)の修繕時の墨書銘があり、元禄11年以前に製作されたことがわかります。また『寒松日記』には、寛永7年(1630)と寛永9年(1632)に記述が見られ、毎年8月15日に、八幡神社(鶴ヶ丸八幡神社)で獅子舞が奉納されたことが明らかです。当該期の寺と神社の関係や年中行事としての祭りの姿を伝える重要な資料です。
※ この文化財は、一般公開は行っておりません。
■龍派禅珠の頂相
埼玉県指定  有形文化財  年代:江戸時代
寄託:さいたま市大宮区高鼻町4-219 (埼玉県立歴史と民俗の博物館)
禅宗では、頂相といって、始祖・高僧といわれる僧侶の肖像画を描き、描かれた僧侶自らが筆を取り、自賛の詩を書き入れ、弟子たちに印可の証として授ける習慣がありました。これは長徳寺中興開山とされる龍派禅珠(寒松)が、逝去する寛永十三年(1636)の春、後住の禅復首座にあたえたものです。斜め右向きに曲彔に座った頂相画に、上部には七言絶句の自賛の書が書かれています。縦85.5㎝、横38.8㎝です。
※ この文化財は、一般公開は行っておりません。  (川口市立文化財センターHPより)
■参道
■山門
■境内
■境内
■境内
■本堂
■長徳寺の文化財/解説
■長徳寺のビャクシン/解説     ※埼玉県指定 天然記念物
■ビャクシン           ※埼玉県指定 天然記念物
■ビャクシンとヒノキ        ※埼玉県指定 天然記念物   ※川口市保存樹木
■金剛窟
■三重塔
■三重塔
■三重塔
■仁王門
■仁王門
■三十六歌仙絵扁額/解説      ※川口市指定 有形文化財
■圓通殿観音堂
■境内
■代官熊沢家の墓/解説       ※川口市指定 史跡
■代官熊沢家の墓         ※川口市指定 史跡
■代官熊沢家の墓          ※川口市指定 史跡
■龍派禅珠の墓           ※埼玉県指定 史跡

氷室神社(芝6299)

■大和の国から神霊を分けてきたと思われる大変古い神社。社殿は小振りですが鶴ヶ丸八幡神社と同じ流造りです。昔は祭りも賑やかで、出店が出たり、奉納芝居も演じられたそうです。高台にあり、川口南部を眺望できます。
          (川口市:我がまち川口・再発見~天気の良い日は川口散歩~より)
■鳥居
■鳥居
■境内
■社殿
■境内

羽盡神社(大字芝5379-1)

■境内はじめ周辺にはイチョウの木が多く、晩秋に一面黄色にそまる紅葉は一見の価値アリ。ご神器の秋草双雀鏡(しゅうそうそうじゃくきょう)は、埼玉県指定有形文化財。
          (川口市:我がまち川口・再発見~天気の良い日は川口散歩~より)
■羽盡神社本殿
川口市指定  有形文化財 年代:江戸時代
羽盡神社は、芝の鎮守社であり、建武2年(1335)の神宝「秋草双雀鏡」(県指定文化財)から、創建は南北朝の頃まで溯ると思われます。当本殿の建立年代は定かでないが、「氷川移し」と称し、江戸時代初期に武蔵一ノ宮氷川神社より材を譲り受けて移築したとの言い伝えがあります。本殿は、一部に江戸中期以降の意匠も見られるが、周辺氷川神社との比較から、江戸前期の建立と考えられ、重要な建造物です。享保年間には境内が整備され、元治元年(1864)には拝殿が造営されました。
■銅製秋草双雀鏡
埼玉県指定  有形文化財  年代:南北朝時代
この秋草双雀鏡は、神器として羽盡神社に奉納されたもので、背面には秋草の咲き乱れる中で、2羽の雀が飛び交う様子が鋳出されており、鏡面に刻まれた銘文から建武2年(1335)に奉納されたものであることが判ります。直径19.0㎝、厚さ0.1㎝(縁の厚さは0.3㎝)の円鏡です。
※ この文化財は、一般公開は行っておりません。    
■羽盡神社朱印状
川口市指定  有形文化財  年代:江戸時代
江戸時代、歴代の徳川将軍(家宣・家継・慶喜を除く12名)は、主要な寺社に対して朱印状を発して朱印地を与え、その経済的特権を保証することにより、支配下に組み込んでいきました。市内には、天正19年(1591)に徳川家康から朱印状を受けている寺社が7箇所確認できるものの、その後、紛失や明治新政府に提出し、12通全部が揃って現存するのは、この羽盡神社のみで、県内でも5例程度と希少であり、価値が高い文化財です。
※ この文化財は、一般公開は行っておりません。  (川口市立文化財センターHPより)
■御由緒
■鳥居
■境内
■社殿
■社殿
■境内

慈星院(芝5222)

■不動堂には二体の不動明王。お堂脇の周囲5メートルほどのカヤの木は、川口市天然記念物。        (川口市:我がまち川口・再発見~天気の良い日は川口散歩~より)
■慈星院のカヤ
川口市指定  天然記念物
本堂に延びる参道の東側、不動尊堂の脇にあり、現存する本寺院最古の樹木です。雌木。樹高18m、目通り4.1m、枝張り7.7mを測ります。カヤは、種子が薬用、食用となり、また、かつては油も採取されていました。      (川口市立文化財センターHPより)
■参道
■参道
■山門
■本堂
■境内
■カヤの木/解説          ※川口市指定 天然記念物
■不動堂と「カヤの木        ※川口市指定 天然記念物」
■カヤの木            ※川口市指定 天然記念物

供養塔(大字芝字辻)

■平安時代の初めに、人間の豊かさに長生したいという願望が庚申信仰になった。庚申にあたる夜、人が寝ている間に、体の中の三尸(さんし)の虫(人の体内に住み害をなすといわれる三種の虫)が天に昇り天帝に告げ口をして、寿命を奪うと考えられていた。それを防ぐために、仏家では、青面金剛、神道猿田彦大神を祀って夜通し眠らず皆で、楽しく過ごして、三尸の虫に天に昇る機会を与えないようにした。庚申塚は病魔・病鬼を払い除く庚申会の本尊を祀った塚である。                   (辻町会案内板より)
■庚申塚の謂れ(辻町会)

庚申塔※道標(芝樋ノ爪2-14)

■歩いていると、「青面金剛(しょうめんこんごう)」「庚申塔」などと書かれた石碑や石塔を見かけます。これは、江戸時代に全国的に広まった庚申信仰が、この地にもあったことを示しています。石碑や石塔は「庚申講」の記念に建てられたもので、仏教では「青面金剛」神道では「猿田彦」の像が刻まれます。「三猿」が彫られているのは、申の日であることと、「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿が、身を慎むという庚申講本来の目的に重なるからだと考えられています。       (川口市:川口市内観光ルートマップより)
※資料提供:川口市産業振興課
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