JR川口駅西口周辺のスポット
~雄大な荒川とひろびろパークにココロ解放~
川口ウォーターフロント 水と芝生と公園と
産業の中心・東口とは対照的に、居住空間としての街づくりが進んでいる川口駅西口。花と緑と彫刻がいこいの場所を演出するリリアパークを南下し、荒川を歩きます。晴れた日には富士山や秩父連山が見渡せて、気持ちの良い散歩道です。巨大な三領水門を過ぎるとコンクリート工場や新聞工場などダイナミックな景観が続きます。緑川沿いからオリンピック通りに進み、川口七福神をまつる二院をお参り。昭和32年(1957年)竣工の川口陸橋を経てビール工場跡地が生まれ変わったリボンシティへ。美術施設「アトリア」のウッドデッキは絶好のひなたぼっこポイントです。 (川口市内観光ルートマップより)
産業の中心・東口とは対照的に、居住空間としての街づくりが進んでいる川口駅西口。花と緑と彫刻がいこいの場所を演出するリリアパークを南下し、荒川を歩きます。晴れた日には富士山や秩父連山が見渡せて、気持ちの良い散歩道です。巨大な三領水門を過ぎるとコンクリート工場や新聞工場などダイナミックな景観が続きます。緑川沿いからオリンピック通りに進み、川口七福神をまつる二院をお参り。昭和32年(1957年)竣工の川口陸橋を経てビール工場跡地が生まれ変わったリボンシティへ。美術施設「アトリア」のウッドデッキは絶好のひなたぼっこポイントです。 (川口市内観光ルートマップより)
写真撮影:川口銀座商店街(振)/まちづくりパートナーシップ勉強会
リリアパーク(川口3-1)
■ペデストリアンデッキなどJR川口駅周辺のリニューアルは西口から始まりました。リリアと共に建設されたリリアパークは、駅前を憩いの空間にするという思いきった発想。あちこちに設置された彫刻作品も現代性に富み刺激的です。川口の地場産業「鋳物」「植木」の活用は当然考慮され、芝生広場に下りる階段も実は鋳物製。水の流れを取り入れた設計もされており、子どもたちの水遊びの場もあります。サクラは年々成長し、今ではお花見の名所となりました。線路に面した枝垂れザクラの並木は電車の通勤客の目も楽しませます。
(川口市:我がまち川口・再発見~天気の良い日は川口散歩~より)
花と彫刻の広場
飯塚氷川神社(飯塚1-7-18)
■真っ白な鳥居が特徴。元は恵比須神社と呼んでいましたが、静岡三島神社、大宮氷川神社から合祀され、明治6年(1873年)に飯塚村の村社となりました。境内のイチョウが色づく10月19、20日にお日待(おひまち)行事、年末12月19日にはおかめ市も立ちます。 (川口市:我がまち川口・再発見~天気の良い日は川口散歩~より)
最勝院(飯塚1-15-24)
■山門を入り左側、正応2年(1289年)の板碑は、川口市内に現存する最大のものと言われ、法華経の一文が刻まれています。4月の御釈迦様の誕生日近くには、一般市民を対象に音楽会や落語会、般若心経会などの催しが開かれます。真言宗智山派の寺院で錫杖寺の末寺、本尊は十一面観音、室町時代の創建と伝えられています。
(川口市:我がまち川口・再発見~天気の良い日は川口散歩~より)
三領水門(緑町9-2)
■緑川と合流した菖蒲川が、荒川に合流する地点に水門があり、川の水が逆流するのを防いでいます。建設当初の水門は煉瓦に鉄筋を混ぜる工法で造られ「赤水門」と親しまれていました。その姿はメモリアルパークのステージにデザイン化され、残っています。
(川口市:我がまち川口・再発見~天気の良い日は川口散歩~より)
(川口市:我がまち川口・再発見~天気の良い日は川口散歩~より)
横曽根神社(南町1-15-10)
本覚寺(宮町7-7)
吉祥院(南町2-6-8)
■境内には弘安5年(1286年)のものをはじめ、花瓶を刻んだものや十三仏を刻んだものなど4基の板碑が祀られています。本尊の毘沙門天は、武州川口七福神の一つ。ただし本尊のためご開帳は正月の10日間のみです。また教化活動として、音楽と香りになかで瞑想する「満月の会」が第1・第3土曜、写経会が秋の彼岸に行われます。真言宗智山派の寺院。室町時代の終わり頃には、荒川の堤にお堂があったとのことです。荒川が氾濫を繰り返しても不思議に本尊は助かり、そのつど檀家のかたがたの手で再興されました。その後、錫杖寺和尚によって現在の地に寺を移したために錫杖寺の末寺となりました。
(川口市:我がまち川口・再発見~天気の良い日は川口散歩~より)
(川口市:我がまち川口・再発見~天気の良い日は川口散歩~より)
妙仙寺(川口6-3-3)
■昭和の開山という珍しい寺。近くに住む熱心な日蓮宗信者の鋳物工場経営者が開きました。境内の木々の緑と本殿の漆喰壁の白さとの対比が美しく、山門横には葺き変え前の本殿鬼瓦などを展示。 (川口市:我がまち川口・再発見~天気の良い日は川口散歩~より)