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JR川口駅東口周辺o散歩

消えゆく歴史 川口の証を巡る ぶらりO散歩

『キューポラのある街』は遠く 川口発祥の地を歩く

人口60万人を超えた川口市の表玄関、JR川口駅東口。ペデストリアンデッキが整備され、キュポ・ラ、キャスティなどの再開発ビルが建ち、大変貌を遂げました。キュポ・ラ広場には、鋳物の街の記憶をしっかりととどめる彫刻「働く歓び」像が設置されています。日光御成道の面影を残す本一通りを中心に川口の歴史を伝えるポイントを巡ります。川口市立文化財センターに立ち寄ることもでき「我がまち川口・再発見」の序章にふさわしいコースです。            (我がまち川口・再発見~天気の良い日は川口散歩~より)
              (川口市:川口市内観光ルートマップ概要面MAP面より)
         写真撮影:川口銀座商店街(振)/まちづくりパートナーシップ勉強会

昭和の鋳物工場の様子(川口市立文化財センターの展示物)

昭和の鋳物製品を取扱う商店の様子(川口市立文化財センターの展示物)

JR川口駅東口

■JR川口駅は、JR蕨駅に遅れること17年、明治43年(1910)に川口町駅として開設されました。1日の利用者数は大宮、川越に次ぎ県下で3番目(平成19年当時)。駅で出入り口上の駅名看板に蒸気機関車が描かれていますが、これは明治17年(1884)に開通した現在の高崎線を走った善光号。前年荒川経由で部品が運ばれ、舟戸の善光寺裏で組み立てたのでその名前に。実物は現在、さいたま市の鉄道博物館に展示されています。
          (川口市:我がまち川口・再発見~天気の良い日は川口散歩~より)
■鋳物製看板(蒸気機関車:善光号)

キュポ・ラ/CuPo・La(川口1-1-1)

■JR川口駅東口に平成18年(2006)にオープンした複合施設で、年末年始を除き無休の行政センターや、夜9時まで(平日)開館の中央図書館、市民ホール、保育園、その他商業施設などが入っています。愛称は鋳物産業の象徴キューポラから発想され、《文化が強く発展する土地》を願っています。
          (川口市:我がまち川口・再発見~天気の良い日は川口散歩~より)
■1階)伊奈半十郎忠治公の像
■2階)図書返却ポスト
■M4階)かわぐち      市民パートナーステーション
■4階)フレンディア
■5階)川口市観光物産協会
■5階)川口市観光物産協会
■5階)カフェふらっと
■5/6階)川口市立中央図書館
■館内からの眺望
■館内からの眺望
■館内からの眺望

キュポ・ラ広場(川口1丁目701番地)

■市民相互の交流及び中心市街地の活性化を図ることを目的として、発表会、物品販売、宣伝、興行などを開催するために利用することが可能です。      (川口市HPより)
■鋳物のまち川口を象徴する「働く歓び」像は、昭和49年(1974)に設置され、川口の代表産業「鋳物」と働くことの素晴らしさを表現しています。注湯作業に励む鋳物職人は、ものづくりのまち川口の発展を見守っています。※注湯(ちゅうとう)・・・溶けた鉄を鋳型に流し込むこと             (川口市:広報かわぐち2015.5号より)
■キュポラ /解説
■キュポラのモニュメント
■働く歓び像/解説
■働く歓び像
■働く歓び像

川口神社(金山町6-15)

■川口市の総鎮守。境内には、鋳物師の守護神・金山権現社のほか、かつて本町小学校内にあった学業の神様・梅ノ木天神も移されています。毎年12月15日のおかめ市では縁起物の熊手が売られ、数百の屋台で大にぎわいです。平安末期に大宮氷川神社から分祀したといわれ、祭神は素盞鳴尊(すさのおおのみこと)、菅原道真公、宇迦之御魂命(うかのみたまのみこと)、保食命(うけもちのみこと)、金山彦命(かなやまひこのみこと)。社宝の神鏡は、川口市指定有形文化財です。
          (川口市:我がまち川口・再発見~天気の良い日は川口散歩~より)
■川口神社の神鏡
川口市指定  有形文化財  年代:江戸時代
この神鏡は、井沢弥惣兵衛為永の配下にあって見沼溜井造成工事を担当した杉島貞七郎保英が奉納したものです。保英は、川口宿の宇田川定盛の子として生まれ、小普請組杉島不一の養子となり小普請組に属し、鎮守である氷川神社に工事の完成を祈願し、祈願が成就したことにより奉納されました。直径30㎝、厚さ0.5㎝、裏面には「奉納・御寶前・武州川口町鎮守・杉島貞七郎花押」、中央には「氷川大明神」三つ巴文とともに、「享保十八年癸年九月吉祥日 中村因幡守作」の銘が鋳出されています。
※ この文化財は、一般公開は行っておりません。  (川口市立文化財センターHPより)
■八雲社社殿 旧金山権現社社殿
川口市指定  有形文化財  年代:江戸時代
当社殿は、かつてあった棟札から宝永4年(1707)に山城国宮野平左衛門と同平七郎勝俊により建造され、後に幾度かの修理が施されていますが、海老紅梁、斗栱、木鼻、破風板、蛙股などの細部装飾において、江戸時代初期の社寺建築の特徴を残しています。また、当社は南北朝時代に美濃国の金山彦神社から勧請されたと伝えられ、以来、川口鋳物職人たちの精神的支えとなってきた歴史的役割は極めて重要です。
※ 見学の際には、マナーを守り、文化財の所有者、近所の方、他の見学者や参拝者の迷惑とならないようにお願いします。なお、外観のみの公開です、建物の内部の見学はできません。                      (川口市立文化財センターHPより)
                                 ※川口神社HP
■御由緒
■鳥居
■神門
■神門
■境内
■境内
■富士塚
■社殿
■境内
■金山神社/解説
■金山神社
■梅ノ木天神社
■三社合殿             石神井社/杉山稲荷社/大六天社
■八雲社社殿/解説          ※川口市指定 有形文化財
■八雲社社殿 旧金山権現社社殿 ※川口市指定 有形文化財
■金刀比羅宮
■川口護国神社/解説
■川口護国神社
■包丁塚
■凱旋橋の碑

旧鋳物問屋鍋平別邸(金山町15-2)現在一般公開はされていません

■江戸時代末期創業の地元鋳物問屋・鍋屋(島崎平五郎)の元居宅。1階東半分は明治末期創建当時の姿をとどめ、書院窓や欄間などに数寄屋風の意匠が見られます。昭和14年(1939)に完成した離れは顧客接待にも用いられたため、コクタンやエンジュの柱、欄間の彫刻、洗面所に組み込まれたステンド・グラスなど贅が尽くされています。国の登録有形文化財(建造物)。 (川口市:我がまち川口・再発見~天気の良い日は川口散歩~より)
■旧鋳物問屋鍋平別邸 主屋
国登録  有形文化財  年代:明治・大正
当建物は、鋳物問屋嶋崎家の別邸として明治末頃に建設された和風建築です。玄関を含む1階の東半分は創建当初の姿をよくとどめており特に座敷は、書院窓や欄間などに、数寄屋風の凝った意匠が見られます。また、2階部分は大正8年頃、1階西半分は昭和35年に増築されており、各時代の様相の違いを如実に表現していることも特徴です。                           
■旧鋳物問屋鍋平別邸 蔵
国登録  有形文化財  年代:昭和時代
主屋の北西に昭和2年頃建設された土蔵です。建設当初は米蔵として使用されていましたが、昭和35年に床を張り、内部を二層にしています。外壁は、モルタルに目地を切り石造風に見せており、丁寧な造りとなっています。
■旧鋳物問屋鍋平別邸 離れ
国登録  有形文化財  年代:昭和時代
当建物は、昭和14年(1939)に、主屋の東に鋳物の販売の商談等のための迎賓施設として増築された建物です。10畳の座敷の北面に床・棚・書院を備え、三方に縁を回らし、北に外観を洋風にまとめた便所を付属します。当時輸入された黒檀やエシジュなどの銘木やステンド・グラスを多用した華やかな造りで、近代和風建築の特色をよく表しています。
■旧鋳物問屋 鍋平別邸 庭園
川口市指定  名勝  年代:昭和時代
旧鋳物問屋鍋平別邸の庭園は、昭和16年(1941)頃に、現在の姿に離れの完成と共に整えられたものと思われます。庭園は南側の主庭、東側の側庭、正門に広がる前庭に分かれます。川口特有の豊かな水を利用した池泉回遊式日本庭園で、当時は吹き井戸を利用し、滝を配するなど、水景に特徴をもたせたつくりで、戦前期の東京下町地区を中心に流行した庭園の特色を色濃く残しています。            (川口市立文化財センターHPより)
■主屋            ※国登録 有形文化財            資料提供:川口市子育て相談課
■主屋             ※国登録 有形文化財             資料提供:川口市子育て相談課
■庭園             ※川口市指定 名勝            資料提供:川口市子育て相談課

善光寺(舟戸町1-29)

■日本三善光寺の一つ。安藤広重の「名所江戸百景」にも描かれて人気があり、「長野は一生に一度、甲府は十年に一度、川口は一年に一度」と江戸市民の善光寺詣でのスポットでした。本尊は、善光寺式阿弥陀三尊(阿弥陀如来を中尊とし、観音・勢至(せいし)菩薩が脇につく)でしたが、昭和43年(1968年)の火災で勢至菩薩像を除いて焼失(現在この勢至菩薩像が県指定文化財)。真言宗寺院。本殿の鰐口は幕末の鋳物師によるもので市指定有形文化財。    (川口市:我がまち川口・再発見~天気の良い日は川口散歩~より)
                                  ※善光寺HP
■本堂
■荒川河川敷から
■境内からの眺望

川口の渡しと鎌倉橋の碑(本町1丁目)

■昭和13年頃まで古鎌倉街道の土橋が荒川河川敷内に実在しましたが、南中学校の建設時に校庭内に埋没したため、記念碑が建てられました。鎌倉街道は奥州に続く主要街道で、川口はこの街道筋に位置したことから発展しました。岩淵宿と川口宿間に荒川を渡る「川口の渡し」があり、源義経が兄頼朝のもとに馳せ参じる際、ここで閲兵したと「義経記(ぎけいき)」に記されています。将軍の御成や善光寺ご開帳の時は仮設橋や舟橋が架けられましたが、昭和3年(1928年)新荒川大橋の開通で使命を終えました。
          (川口市:我がまち川口・再発見~天気の良い日は川口散歩~より)
■日光街道と鎌倉街道/解説
■空からの火(作:岩田 健)

増幸産業の大砲(本町1-12-24)

■川口鋳物師の優秀な技術は全国に知れ渡り、幕末期には全国の諸大名から大砲、砲弾などの注文が寄せられました。増田安次郎(増田家2代目)は、後の砲術奉行高島秋帆の協力で、当時の日本では不可能とされていた大型砲などを鋳造。そのレプリカが工場脇に展示され見学できます。  (川口市:我がまち川口・再発見~天気の良い日は川口散歩~より)
■大砲のレプリカ
■大砲のレプリカ

旧川口宿本陣表門(本町1ー6)

■代々川口宿の本陣をつとめた永瀬家の門として現存する。川口宿の主要な業務は江戸と鳩ケ谷宿への人馬継立てで、常に馬役と歩行役(人足役)の用意が必要とされた。今は奥まった場所にあるが当時は御成道に面していた。(川口市:日光御成道観光ルートマップより)

ヤゲンヤ跡(本町1丁目)

■永瀬庄吉(1857~1945年)は、電気などの新技術で鋳物業の近代化を進めた川口近代鋳物産業の先駆者です。当初、薬研(やげん)を製造していたことから屋号はヤゲンヤ。現在も永瀬家は、ヤゲンヤさんと呼ばれ、お屋敷には、母屋の洋館・複数の蔵・レンガ造りの発電所などが残っています。川口の本町は埼玉県で一番早く電灯がともった街だったのです。      (川口市:我がまち川口・再発見~天気の良い日は川口散歩~より)

川口市立文化財センター(本町1ー17ー1)

■分館の旧田中家住宅と共に平成18年(2006)にオープンしました。館内には、川口市内で発掘された縄文土器などの出土品や鋳物業に関する資料、民俗芸能関連など、数多くの文化遺産が保管されています。縄文土器づくりなどの教室も随時開かれています。観覧時間は9時30分~16時30分、月曜日休館(月曜日が祝日の場合はその直後の平日)・年末年始(12月29日~1月3日)。展示室入場料一般100円、小・中学生50円。       
           (川口市:我がまち川口再発見~天気の良い日は川口散歩~より)
                          (川口市立文化財センターHP)
■展示室入場券
■1階)入口
■1階)エントランス
■1階)鋳物工場の様子
■展示室1)内観
■展示室1)内観
■展示室1)内観
■展示室1)安行原の蛇造り
■展示室1)安行原の蛇造り
■展示室1)山岳信仰/解説
■展示室1)山岳信仰
■展示室1)郷土芸能/解説
■展示室1)安行藤八神楽面
■展示室1)         道合庄陣場遺跡の板碑
■展示室1)直刀
■企画展示室)
■酒屋で使用されていた看板
■展示室2)内観
■展示室2)内観
■展示室2)内観
■展示室2)内観
■展示室2)昭和の金物屋
■展示室2)昭和の金物屋
■展示室2)南平の味噌醸造道具
■展示室2)赤山渋作業具
■展示室2)安行植木作業具
■展示室2)大八車
■展示室2)帆柱・櫓
■展示室2)乗合馬車駐車場木柱
■1階)出口

凱旋橋跡(本町2-22-18)

■現在は埋没している川口用水に架かっていた石橋で、日露戦争の従軍兵士と戦死者を讃えて架けられました。石橋は埋もれましたが、石柱は錫杖寺前に残ります。        
          (川口市:我がまち川口・再発見~天気の良い日は川口散歩~より)
■凱旋橋跡付凱旋橋之碑
川口市指定  史跡  年代:明治時代
これは明治39年(1906)1月に日露戦争出征兵士の凱旋を祝し、旧川口町の町長以下町民たちによって架設された凱旋橋の跡と川口神社境内にあるその由来を記した記念碑です。鋳物業が飛躍的に発展し、地域も発展していく契機となった日露戦争の記念となる文化財です。
                        (川口市立文化財センターHPより)
■凱旋橋跡付凱旋橋之碑/解説     ※川口市指定 史跡
■凱旋橋跡付凱旋橋之碑       ※川口市指定 史跡
■凱旋橋跡付凱旋橋之碑       ※川口市指定 史跡
■凱旋橋跡付凱旋橋之碑       ※川口市指定 史跡
■凱旋橋跡付凱旋橋之碑       ※川口市指定 史跡

錫杖寺(本町2-4-37)

■江戸時代には、2代将軍秀忠の時から徳川将軍家の日光社参の休憩所として使われるようになり、江戸城最後の大奥取締役滝山と叔母の染島の墓もあります。県指定文化財の銅鐘は、江戸時代の鋳法による貴重な資料のため、室内に保管されています。境内には、川口七福神巡りの福禄寿も祀られています。大みそかの除夜の鐘突きや一千燈の提灯を灯し続ける延命地蔵尊万灯会は盛況です。本尊の地蔵菩薩は寄木造りの坐像で、寺名のとおり右手に錫杖、左手に宝珠を持ちます。真言宗智山派。
          (川口市:我がまち川口・再発見~天気の良い日は川口散歩~より)
■銅鐘
埼玉県指定  有形文化財  年代:江戸時代
この銅鍾は、寛永18年(1641)9月、川口宿名主宇田川宗慶が施主となり、川口鋳物師長瀬治兵衛守久が鋳造し奉納したものです。これは、近世初期の工芸品として美術的に貴重であるとともに、現存する県内最古の川口鋳物作品として貴重です。
※ この文化財は常時公開されていませんので、見学の際には、所有者、管理者の許可を受けて下さい。見学にあたっては、所有者・管理者、他の参拝者などの迷惑とならないようにお願いします。                 (川口市立文化財センターHPより)
■武州川口七福神 福禄寿尊                      ※錫杖寺HP
■参道
■山門
■川口天満宮
■武州川口七福神)福禄寿
■十三佛
■本堂
■本堂
■瀧山家墓地/解説
■大奥御年寄 瀧山の墓
■錫杖寺と御成道/解説
■御成街道石碑

川口市立アートギャラリー・アトリア(並木元町1-26)

リボンシティの一画には川口市立アートギャラリー・アトリアがあります。建物はサッポロビールから寄贈され、川口市が運営しています。貸しギャラリーとして市民アートの発表の場となるほか、ギャラリー主催の企画展や美術講座などが頻繁に開かれ、川口の新しい芸術文化スポットに育ちつつあります。                        
          (川口市:我がまち川口・再発見~天気の良い日は川口散歩~より)
                    (川口市立アートギャラリー・アトリアHP)

川口スケートパーク(並木元町1-22)

■平成18年4月にオープンし、東京2020オリンピックでも話題となったスケートボード、インラインスケート専用の公共施設です。       ※川口スケートパークHP
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