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JR川口駅東口周辺のスポット

~ときどきレトロ川口の魅力盛りだくさん~

人口60万人を超え、勢いづく川口市の中心部が川口駅周辺です。駅前に広がる巨大なペデストリアンデッキから出発し川口神社へ。現在、南中学校が建っている荒川のスーパー堤防あたりは、600年前の文献に「こかはぐち」(小さい河口という意味)として登場しています。徳川将軍が日光に参るときに通る御成道には、川口宿のにぎわいを思い起こさせるような古い商家が残ります。大奥最後の御年寄瀧山の墓なども現存しています。再開発のビル群から目と鼻の先にあるリアル史跡。息づく歴史に心躍ります。
                         (川口市内観光ルートマップより)
         写真撮影:川口銀座商店街(振)/まちづくりパートナーシップ勉強会

キュポ・ラ広場(川口1丁目701番地)

■市民相互の交流及び中心市街地の活性化を図ることを目的として、発表会、物品販売、宣伝、興行などを開催するために利用することが可能です。      (川口市HPより)
■鋳物のまち川口を象徴する「働く歓び」像は、昭和49年(1974)に設置され、川口の代表産業「鋳物」と働くことの素晴らしさを表現しています。注湯作業に励む鋳物職人は、ものづくりのまち川口の発展を見守っています。※注湯(ちゅうとう)・・・溶けた鉄を鋳型に流し込むこと             (川口市:広報かわぐち2015.5号より)
キュポラ(キューポラ)の  モニュメント
働く歓び像
働く歓び像

川口神社(金山町6-15)

■川口市の総鎮守。境内には、鋳物師の守護神・金山権現社のほか、かつて本町小学校内にあった学業の神様・梅ノ木天神も移されています。毎年12月15日のおかめ市では縁起物の熊手が売られ、数百の屋台で大にぎわいです。平安末期に大宮氷川神社から分祀したといわれ、祭神は素盞鳴尊(すさのおおのみこと)、菅原道真公、宇迦之御魂命(うかのみたまのみこと)、保食命(うけもちのみこと)、金山彦命(かなやまひこのみこと)。社宝の神鏡は、川口市指定有形文化財です。
          (川口市:我がまち川口・再発見~天気の良い日は川口散歩~より)
■川口神社の神鏡
指定等:市指定  種別:有形文化財 工芸品  員数:1面  年代:江戸時代
この神鏡は、井沢弥惣兵衛為永の配下にあって見沼溜井造成工事を担当した杉島貞七郎保英が奉納したものです。保英は、川口宿の宇田川定盛の子として生まれ、小普請組杉島不一の養子となり小普請組に属し、鎮守である氷川神社に工事の完成を祈願し、祈願が成就したことにより奉納されました。直径30㎝、厚さ0.5㎝、裏面には「奉納・御寶前・武州川口町鎮守・杉島貞七郎花押」、中央には「氷川大明神」三つ巴文とともに、「享保十八年癸年九月吉祥日 中村因幡守作」の銘が鋳出されています。
※ この文化財は、一般公開は行っておりません。  (川口市立文化財センターHPより)
■八雲社社殿 旧金山権現社社殿
指定等:市指定  種別:有形文化財 建造物  員数:1棟  年代:江戸時代
当社殿は、かつてあった棟札から宝永4年(1707)に山城国宮野平左衛門と同平七郎勝俊により建造され、後に幾度かの修理が施されていますが、海老紅梁、斗栱、木鼻、破風板、蛙股などの細部装飾において、江戸時代初期の社寺建築の特徴を残しています。また、当社は南北朝時代に美濃国の金山彦神社から勧請されたと伝えられ、以来、川口鋳物職人たちの精神的支えとなってきた歴史的役割は極めて重要です。
※ 見学の際には、マナーを守り、文化財の所有者、近所の方、他の見学者や参拝者の迷惑とならないようにお願いします。なお、外観のみの公開です、建物の内部の見学はできません。                      (川口市立文化財センターHPより)
鳥居
神門
境内
本殿
八雲神社社殿/旧金山権現社社殿川口市指定有形文化財 建造物
境内

善光寺(舟戸町1-29)

■日本三善光寺の一つ。安藤広重の「名所江戸百景」にも描かれて人気があり、「長野は一生に一度、甲府は十年に一度、川口は一年に一度」と江戸市民の善光寺詣でのスポットでした。本尊は、善光寺式阿弥陀三尊(阿弥陀如来を中尊とし、観音・勢至(せいし)菩薩が脇につく)でしたが、昭和43年(1968年)の火災で勢至菩薩像を除いて焼失(現在この勢至菩薩像が県指定文化財)。真言宗寺院。本殿の鰐口は幕末の鋳物師によるもので市指定有形文化財。    (川口市:我がまち川口・再発見~天気の良い日は川口散歩~より)
本堂
本堂
境内からの眺望

鎌倉橋の碑(本町1丁目)

■昭和13年頃まで古鎌倉街道の土橋が荒川河川敷内に実在しましたが、南中学校の建設時に校庭内に埋没したため、記念碑が建てられました。鎌倉街道は奥州に続く主要街道で、川口はこの街道筋に位置したことから発展しました。岩淵宿と川口宿間に荒川を渡る「川口の渡し」があり、源義経が兄頼朝のもとに馳せ参じる際、ここで閲兵したと「義経記(ぎけいき)」に記されています。将軍の御成や善光寺ご開帳の時は仮設橋や舟橋が架けられましたが、昭和3年(1928年)新荒川大橋の開通で使命を終えました。
          (川口市:我がまち川口・再発見~天気の良い日は川口散歩~より)

増幸産業の大砲(本町1-12-24)

■川口鋳物師の優秀な技術は全国に知れ渡り、幕末期には全国の諸大名から大砲、砲弾などの注文が寄せられました。増田安次郎(増田家2代目)は、後の砲術奉行高島秋帆の協力で、当時の日本では不可能とされていた大型砲などを鋳造。そのレプリカが工場脇に展示され見学できます。  (川口市:我がまち川口・再発見~天気の良い日は川口散歩~より)

旧川口宿本陣表門(本町1丁目)

■代々川口宿の本陣をつとめた永瀬家の門として現存する。川口宿の主要な業務は江戸と鳩ケ谷宿への人馬継立てで、常に馬役と歩行役(人足役)の用意が必要とされた。今は奥まった場所にあるが当時は御成道に面していた。(川口市:日光御成道観光ルートマップより)

ヤゲンヤ跡(本町1丁目)

■永瀬庄吉(1857~1945年)は、電気などの新技術で鋳物業の近代化を進めた川口近代鋳物産業の先駆者です。当初、薬研(やげん)を製造していたことから屋号はヤゲンヤ。現在も永瀬家は、ヤゲンヤさんと呼ばれ、お屋敷には、母屋の洋館・複数の蔵・レンガ造りの発電所などが残っています。川口の本町は埼玉県で一番早く電灯がともった街だったのです。      (川口市:我がまち川口・再発見~天気の良い日は川口散歩~より)

凱旋橋跡(本町2-22-18)

■凱旋橋跡付凱旋橋之碑
指定等:市指定  種別:史跡  年代:明治時代
これは明治39年(1906)1月に日露戦争出征兵士の凱旋を祝し、旧川口町の町長以下町民たちによって架設された凱旋橋の跡と川口神社境内にあるその由来を記した記念碑です。鋳物業が飛躍的に発展し、地域も発展していく契機となった日露戦争の記念となる文化財です。
                        (川口市立文化財センターHPより)

錫杖寺(本町2-4-37)

■江戸時代には、2代将軍秀忠の時から徳川将軍家の日光社参の休憩所として使われるようになり、江戸城最後の大奥取締役滝山と叔母の染島の墓もあります。県指定文化財の銅鐘は、江戸時代の鋳法による貴重な資料のため、室内に保管されています。境内には、川口七福神巡りの福禄寿も祀られています。大みそかの除夜の鐘突きや一千燈の提灯を灯し続ける延命地蔵尊万灯会は盛況です。本尊の地蔵菩薩は寄木造りの坐像で、寺名のとおり右手に錫杖、左手に宝珠を持ちます。真言宗智山派。
          (川口市:我がまち川口・再発見~天気の良い日は川口散歩~より)
■銅鐘
指定等:県指定  種別:有形文化財 工芸品  員数:1口  年代:江戸時代
この銅鍾は、寛永18年(1641)9月、川口宿名主宇田川宗慶が施主となり、川口鋳物師長瀬治兵衛守久が鋳造し奉納したものです。これは、近世初期の工芸品として美術的に貴重であるとともに、現存する県内最古の川口鋳物作品として貴重です。
※ この文化財は常時公開されていませんので、見学の際には、所有者、管理者の許可を受けて下さい。見学にあたっては、所有者・管理者、他の参拝者などの迷惑とならないようにお願いします。                 (川口市立文化財センターHPより)
参道
山門
川口七福神:福禄寿尊
本堂
大奥御年寄 滝山の墓地
御成街道石碑
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